(don't get any) Big Ideas

音楽周りのあれこれかれこれ

和訳と考察 Legacy / Mansun

90年代に活躍したMansunは、高い文学性が厭世的な自己否定の言葉とあいまってなんともやるせない気持ちになるバンド。

youtu.be

  

If you fear transition to your other life
Don't need money to be there
Leave behind your money just to prove your worth
Won't be here so I don't care
If you strap your conscience to your vision thing
Won't be here so I don't care
Prove your worth to people that you called your friends
Won't be here so I don't care
この世からいなくなってしまう時には
お金は必要ない
お金を遺すのはただ自分の価値を証明するため
いなくなったらどうでもいい
ビジョンとかいうやつと良心をこじつけようが
いなくなったらどうでもいい
友達と呼ぶ連中に自分の価値を証明しても
いなくなったらどうでもいい

I wouldn't care if I was washed up tomorrow you see
Reading novels is banned by the Marquis de Sade
All relationships are emptying and temporary
明日全てが終わってもかまわない
小説を読むことはサド侯爵に禁じられて
あらゆる人間関係はただ虚しい仮初めのもの

Life is wearing me thin
I feel so drained, my legacy
A sea of faces just like me and
Life is wearing me thin
I feel so drained, my legacy
A sea of faces just like me
人生が僕をすり減らす
精魂尽き果ててしまった 僕の遺産
道行く顔はみんなみんな僕と似たよう
人生が僕をすり減らす
精魂尽き果ててしまった 僕の遺産
道行く顔はみんなみんな僕と似たよう

I've been drained, emotion is a bitter fate
Won't be here so I don't care
I concede relationships have left me weak
Won't be here so I don't care
Look for something worthy to replace my guilt
Won't be here so I don't care
Prove my worth to people who I called my friends
Won't be here so I don't care
精魂尽き果ててしまった 感情とは苦々しい宿命
いなくなったらどうでもいい
人間関係が僕を消耗させてしまったことは認めざるを得ない
いなくなったらどうでもいい
僕の罪の代償となるなにかを探し求めるけど
いなくなったらどうでもいい
友達に自分の価値を証明するんだ
いなくなったらどうでもいい

I wouldn't care if I was washed up tomorrow you see
Reading novels is banned by the Marquis de Sade
All relationships are emptying and temporary
明日全てが終わってもかまわない
小説を読むことはサド侯爵に禁じられて
あらゆる人間関係はただ虚しい仮初めのもの

Life is wearing me thin
I feel so drained, my legacy
A sea of faces just like me and
Life is wearing me thin
I feel so drained, my legacy
A sea of faces just like me
人生が僕をすり減らす
精魂尽き果ててしまった 僕の遺産
道行く顔はみんなみんな僕と似たよう
人生が僕をすり減らす
精魂尽き果ててしまった 僕の遺産
道行く顔はみんなみんな僕と似たよう

Nobody cares when you're gone
Nobody cares when you're gone
いなくなったら みんな忘れるだけ
いなくなったら みんな忘れるだけ

I wouldn't care if I was washed up tomorrow you see
Reading novels is banned by the Marquis de Sade
All relationships are emptying and temporary
明日全てが終わってもかまわない
小説を読むことはサド侯爵に禁じられて
あらゆる人間関係はただ虚しい仮初めのもの

Life is wearing me thin
I feel so drained, my legacy
A sea of faces just like me and
Life is wearing me thin
I feel so drained, my legacy
A sea of faces just like me
人生が僕をすり減らす
精魂尽き果ててしまった 僕の遺産
道行く顔はみんなみんな僕と似たよう
人生が僕をすり減らす
精魂尽き果ててしまった 僕の遺産
道行く顔はみんなみんな僕と似たよう

Nobody cares when you're gone
Nobody cares when you're gone
Nobody cares when you're gone
Nobody cares when you're gone
Nobody cares when you're gone
Nobody cares when you're gone
Nobody cares when you're gone
Nobody cares when you're gone
いなくなったら みんな忘れるだけ
いなくなったら みんな忘れるだけ
いなくなったらみんな 忘れるだけ
いなくなったら みんな忘れるだけ
いなくなったら みんな忘れるだけ
いなくなったら みんな忘れるだけ
いなくなったらみんな 忘れるだけ
いなくなったら みんな忘れるだけ

 

("I wouldn't〜"と"Life is〜"がひとまわし多いAlbum ver.で訳してます)

 

単語
Marquis de sade:サド侯爵。フランス革命期の小説家。サディズムの語源
concede:しぶしぶ認める

 

死んだら個人の意識は無に帰すはずなのに、誰もかれもが自分の功績やら価値やらに固執する。他ならぬ自分も、そうしたいのかそうじゃないのかに関わらずそこから逃れられない。厭世文学に救いを求めても帰れなくなるだけ。ただただやるせない。何をしようが死んだらそれで終わりなのに。

これでもかと繰り返される”NOBODY CARES WHEN YOU’RE GONE” Mansunを象徴するフレーズだ。これに続く言葉はない。「だから気楽にやれよ」でかき消せるような虚しさではない。どれだけそれっぽいことを言ってもこの世はただただ虚しい。

でも、一つ言いたいのは、僕はMansunを忘れていないってこと。解散はしてしまったけどフロントマンのポールドレイパーは活動を続けてるし、かつてMansunに熱狂し、今も持ち続けている人は必ずいる。それは虚しさをかき消せるほどのものではない些細なことかもしれないけど、でも、確かに彼らはかつてそこにいて、今ここにいる。

何もかもがコンテンツみたいになってることに虚しくなることがある。災害、政治、宗教、簡単に流していい一時の話題であるはずがないのに、エンターテインメントと同レベルな扱われ方をしている気がしていて。そんな風に忘れていっていいのかって。

でも僕らはいずれ必ず忘れる。感情は色あせていき、記憶は薄れていく。絶対に避けられない。でも、個人の主体的努力で抵抗することはできる。これは悪あがきかもしれない。余命半年を一年に伸ばしてなんになるのかって思うかもしれない。でも、そうするだけの気持ちがあなたにあるのなら、それは絶対に無駄じゃない。僕はそう思う。

では。よかったらぜひ。

 

和訳と考察 Motion Picture Soundtrack

『Kid A』ver.

youtu.be

early ver.

youtu.be

 

Red wine and sleeping pills
Help me get back to your arms
Cheap sex and sad films
Help me get where I belong
赤ワインと睡眠剤
君の腕の中に帰ることができる
安っぽいセックスと悲しい映画で
僕のいるところに帰ることができる

I think you're crazy, maybe
I think you're crazy, maybe
君は狂っている、多分
君は狂っている、多分

Stop sending letters
Letters always get burned
It's not like the movies
They fed us on little white lies
手紙なんかを送るのはやめよう
そんなものはただ塵となる
映画とは違うんだ
あんなもののせいで僕らは優しい嘘に慣らされてしまった

I think you're crazy, maybe
I think you're crazy, maybe
君は狂っている、多分
君は狂っている、多分

I will see you in the next life
来世で会おう

Beautiful angel
Pulled apart at birth
Limbless and helpless
I can't even recognize you
美しい天使
生まれながらに引き離された
手足がない 救いがない
僕も君がわからない

I think you're crazy, maybe
I think you're crazy, maybe
I think you're crazy, maybe
I think you're crazy, maybe
I think you're crazy, maybe
I think you're crazy, maybe
君は狂っている、多分
君は狂っている、多分
君は狂っている、多分
君は狂っている、多分
君は狂っている、多分
君は狂っている、多分

I will see you in the next life
来世で会おう

(early ver.の歌詞も訳しています)

 

2000年の大問題作『Kid A』以降Radioheadの歌詞は抽象的で一見してよくわからない方向に向かうけど、この曲は比較的わかりやすい。Creepの頃からある曲なので当然といえば当然だけど、ここまで進歩したバンドがそれでも昔の曲を持ってくることに「何も難しいことを言いたいわけではなくて彼らは昔から変わらず彼らなんだ」ということを感じる。

とはいえアコーステイックなearly ver.と違って、特別派手ではないものの荘厳な雰囲気を持っているのが『Kid A』ver.だ。彼らは変わっていない。でも確かに変わっている。

歌詞について。まあ自殺の曲だけど、幸か不幸か”赤ワインと睡眠剤で”死ねるのかということには疑問がある(勿論睡眠剤の種類と量によっては本当に死にますが)。彼は臨死体験を味わいながらも何度か帰ってきている、或いは死なないことを薄々わかっていて自傷行為をしている(“君の腕の中に〜”は心配する配偶者が助けてくれるということ)のかもしれない。

ただ、それは幸か不幸か。死のうとしても死に切れず、気休めにしかならない”セックス”や、何か遠くのことに思える”映画”を観ることでなんとか正気を保つけど、そんな自分も心底くだらない。

“手紙”なんかで本音をつらつら書いてみても君には何も伝わらない。そればかりか仲を取り持つための”優しい嘘”をついてしまう自分もいる。”映画みたいに”ハッピーになりたいのに。

君は僕とは違う。気持ちの通じない君は”手足がない”かのようで”救いがない”。本当は君のこと大好きなのに。”美しい天使”のように思っているのに。

君は狂っているんだ。全部狂っているんだ。僕を取り巻くものは全部狂っているんだ。僕もなのか?全部狂っているんだ。もうこんな世界はさよならだ。でも君とはまた会いたい。

かなり好き勝手書いてるけど、この曲は途方もない絶望と否定の歌だと思う。ただ、この曲が初めて書かれて20年ほど経つ今でも、彼らは生きて戦っている。その姿を思うと僕も強く生きていきたいと思える不思議な歌だ。よかったらぜひ。

和訳と考察 Paranoid Android / Radiohead

youtu.be

 2017年のグラストンベリー。ライティングやばすぎない?笑

youtu.be

Please could you stop the noise, I'm trying to get some rest
From all the unborn chicken voices in my head
その音を止めてくれないか
頭の中から今にも生まれてきそうな臆病な喚き声から逃げて休みたいんだ

What's that...?
(I may be paranoid, but not an android)
What's that...?
(I may be paranoid, but not an android)
なんだっていうんだ
(僕は妄想気質なのかもしれないけどアンドロイドじゃない)
なんだっていうんだ
(僕は妄想気質なのかもしれないけどアンドロイドじゃない)

When I am king, you will be first against the wall
With your opinion which is of no consequence at all
僕が王様ならあんたを真っ先に磔にする
あんたの意見なんて全く何ももたらさないんだから

What's that...?
(I may be paranoid, but no android)
What's that...?
(I may be paranoid, but no android)
なんだっていうんだ
(僕は妄想気質なのかもしれないけどアンドロイドじゃない)
なんだっていうんだ
(僕は妄想気質なのかもしれないけどアンドロイドじゃない)

Ambition makes you look pretty ugly
Kicking and squealing gucci little piggy
You don't remember
You don't remember
Why don't you remember my name?
Off with his head, man
Off with his head, man
Why don't you remember my name?
I guess he does....
野心まみれのあんたは醜くみえる
甲高い声でグッチ好きの子豚のようだ
覚えていないんだ
あんたは覚えていない
なぜ僕の名前を覚えていないんだ
奴の首を刎ねろ
奴の首を刎ねろよ
なぜ僕の名前を覚えていないんだ
だって奴なら…

Rain down, rain down
Come on rain down on me
From a great height
From a great height... height...
Rain down, rain down
Come on rain down on me
From a great height
From a great height... height...
Rain down, rain down
Come on rain down on me
雨よ降れ 雨よ降れ
さあ 雨よ降れ 僕に降り注げ
遥かなる高みから
遥かなる高みからさ
雨よ降れ 雨よ降れ
さあ 雨よ降れ 僕に降り注げ
遥かなる高みから
遥かなる高みからさ

That's it, sir
You're leaving
The crackle of pigskin
The dust and the screaming
The yuppies networking
The panic, the vomit
The panic, the vomit
God loves his children, God loves his children, yeah!
それだけだよ
あんたは置き去りにする
豚の皮のひび割れや
塵や叫び声や
ヤッピーのネットワークなんかや
狂気と吐き気も
狂気と吐き気すらも
神は神の子らを愛す 神は神の子らを愛すんだろ、なあ?

 

単語
paranoid:偏執病的
android:人造人間
何か自分のものではないような考えに悩まされてはいるけど、僕は僕であり作られたものではないってことかな。極めて人間らしい偏執のせいでロボットなんじゃないかという妄想にとりつかれるのはとても皮肉。
consequence:結果、影響

kicking:すごい、イキイキとしている
squeal:キーキーいう音、甲高い声、悲鳴
rain down:雨よ降れ。reign down(支配してくれ)がかかってるんじゃないかな。
great height:遥かなる高み、天上

crackle:ひび割れ、ばちばちいう音
yuppie:知的職業に就いているエリートのこと

 

ロックの最高峰『OK COMPUTER』は最早ロックなのかもよくわからないとこまでいっていて、それを象徴するような曲。ミュージックビデオは歌詞の内容を象徴的に表している。

パラノイドに関しての歌だけど、歌詞の内容もかなり誇大妄想的でよくわからんことを歌っているような感じ。僕はこの歌詞は社会に対することでもあるけど、同時に神に対するものだと思っていて。

とっても妄想的な自分の性質を呪っていて、神に救いを求めるのだけど(rain down)、どこにどう存在してるのかもよくわからない神に対する恨み辛みも募るばかり。「野心まみれの〜」のくだりは、当然人間の醜さについてだけど、こんな世界を造った神に対する被害妄想もあるのかと思う。

「覚えていない〜」のくだりは、創造者たるあんた(神)が僕のことを何も気にかけないのはどうかしてるってことかな。「僕が王様なら〜」「奴の首を刎ねろ」にも独善的な妄想気質が見て取れる。

「雨よ降れ」以降は、こんな世界(the dust &〜のような混沌として行き場を失った世界)をどうか救ってくれ、さもなくば壊してくれ、見て見ぬ振りはやめてくれ、あんたは自分の創造物を愛するんだろ?と、さらに被害妄想を加速させて終わりを迎える。

こういう解釈でいいんかな。『OK COMPUTER』自体が全体として、パーソナルな感覚を出発点としたそれ以前の作品と比べて、妄想気味などっか漠然と飛躍したところに向かっている。次作『KID A』で”ロックは死んだ”という方向に行くわけだけど、この時点でその傾向は見て取れるかなって。では。

和訳と考察 Golden Slumbers / The Beatles

なんだこの映像。

youtu.be

Once there was a way,
To get back homeward.
Once there was a way
To get back home.
Sleep, pretty darling,
Dot not cry
And I will sing a lullaby.
かつて故郷へと続く道があった
かつて家へと続く道があった
おやすみかわいい子よ 泣かないで
子守唄を歌ってあげるよ

Golden slumbers,
Fill your eyes
Smiles await you when you rise
Sleep pretty darling
Do not cry
And I will sing a lullaby.
黄金のまどろみが君の瞳を満たし
微笑みが君の目を覚ます
おやすみかわいい子よ 泣かないで
子守唄を歌ってあげるよ

Once there was a way
To get back homeward
Once there was a way
To get back home
Sleep, pretty darling
Do not cry
And I will sing a lullaby.
かつて故郷へと続く道があった
かつて家へと続く道があった
おやすみかわいい子よ 泣かないで
子守唄を歌ってあげるよ

 

単語
once:[副詞]かつて
homeward:[副詞]故郷へ向かって
darling:[名詞]あなた、お前/素敵な人 日本語のダーリンは恋人や夫婦を思い浮かべますが、もうちょっと広い意味です。僕は大切な人のことは君と呼ぶのでyouは君と訳しました。
lullaby:[名詞]子守唄
slumber:[名詞](通例複数)眠り、まどろみ 眠りに落ちそうな時の意識が曖昧になりつつある気持ちいい感じを黄金と言っているのかな。

 

1969年のThe Beatlesのアルバム『Abbey Road』より。伊坂幸太郎原作の映画『ゴールデンスランバー』で斉藤和義がカバーしたことでも有名。『Abbey Road』後半の一連のメドレーの中の小作品という位置づけだけど、単体として取り出してもいいものだなあ。懐かしさと安心感がある普遍的なメロディはやはりビートルズならでは。映画の中で登場人物が度々”Once there was a way〜”と口ずさんでいたけど、代表曲の『Yesterday』しかり、全体の完成度もさることながら冒頭の掴みがこれ以上ないキャッチーさを持っているまさに普遍的名曲。映画の中で使われるタイミングはなかなか辛い状況ばかりなのだけど、そんな時に口をついて出てくるこの曲が心の中にある大切なものを取り戻させてくれるのだなと思う。

 

おまけ。映画のプロモーション。

youtu.be
最後にちょっと斉藤和義バージョンが流れるけど日本のミュージシャンでビートルズマインドを広く一般的に歌ってる人といえばやっぱせっちゃん。ナイスチョイス。伊坂さんあんま詳しくないけど、いい映画だったのでこちらもよかったら。

好き嫌い?良し悪し? 〜音楽を聴くこと語ること〜

先日こんなツイートをした。

 

これは音楽の話に限らず、文学でも映画でも美術でもラーメンでもいいのだが、1番わかりやすい音楽の例で。例えばこんな会話をしたことはないだろうか。

例1)

あなた「○○はこういう点が良いんだよ」

Aさん「でも私好きじゃないし。好みは人それぞれだよね」

例2)

あなた「流行りの△△たいしたことないよな」

Bさん「でも好きな人は好きなんだろうよ。好みは人それぞれだよね」

 

知るかよ。そんな当たり前のことはどうでもいいんじゃ。僕は良し悪しについての議論がしたいんじゃ。

まあ僕がかなりお喋り好きなせいもあるだろうが、こんな風に「それは好みの問題だろ」で会話がストップしてしまった経験はないだろうか。

端的に言って僕はこうなっちゃう人とはあまり音楽の話をしたくない(実際に僕とこういう会話した人も読んでると思うけど、弁解やら反省やらもあるので最後まで読んでね)。さらに言えば、こういう場で「好みの問題」とか言い出すのは、議論できない人の逃げの方便だろとすら思っていた。

 

しかしそんな時にあるフォロワーさんのブログを読んだ。ここで取り上げられているのは前述の僕のツイート。

himoderation.hateblo.jp

 

これを読んだ僕は目から鱗が落ちる思いだった。

前提を結論と取り違えている。

本当にこの一言に尽きる。他でもない僕が前提を結論と取り違えていた(というより「好みの問題」派は「好みの問題」を結論として言っているのだと思い込んでいた)。

 

■「好みの問題」

気づいてしまえば当たり前のことだった。音楽を聴く時に「好みで聴く」は一番プリミティブで自然な方法だ。例えば評論なんかの評価を受けて、あるいはそれに反して「ここが良いここが悪い」なんて聴き方をする方がよっぽど不自然で邪道ともいえる。こんなのは当たり前だ。

ただ僕からしたら(あくまで僕からしたら)、前述のAさんBさんもここを大きく取り違えているように見える。僕からしたら「好みの問題でしかないんだから良し悪しについて議論しても無駄だよ」といったような感じに映っていた。 でも「好みの問題」であることは前提であり、それでも(無駄に終わるかもしれないが)それを超えた議論をしたいというのが僕のスタンスであった。僕も知らないうちに結論付け合戦に巻き込まれてしまっていたようだ。

というか何も結論を出したいわけではない。良し悪し白黒つけたいと言っているわけではない。そんなのは無理だ。良し悪しなんてのは「ある角度から見て良い、ある角度から見たら悪い、まあ総合的に言ってこれくらい」みたいなもので個々人によってその良い悪いの配分が違うし、時代によってもひっくり返る。絶対はない。

でも音楽をはじめとした様々な表現には"語らせる作用"があると思っている。こんなにも各種の批評が存在するのはなぜか。僕みたいなブロガーが星の数ほどいるのはなぜか。"語らせる作用"があるからだ。そして音楽についてあーでもないこーでもないと答えのない議論をすることは素晴らしいことだ。話すことで自分でも全く気付いていなかった点に気付いたりもする。議論自体は答えの出ない不毛なものかもしれないが、この行為は決して無駄じゃない。人間の営みである以上、語ることまで内包した上での表現と言ってもいいかもしれない。語り合うことは本当に素晴らしい。

そこで話は戻るが「好みの問題だろ」と言われると話が終わってしまう。高名な評論家でもこの観点から切り崩すのは無理だろう。本当に話が終わってしまう。無駄と思うかもしれないが、くだらなくも素晴らしい語り合いをしようではないか!

 

さて、上記の話をまとめると以下のように分類できると思う。

1.「好みの問題」が前提であることを認識せず、語らない人。

2.「好みの問題」が前提であることを認識せず、語る人。

3.「好みの問題」が前提であることを認識した上で、語らない人。

4.「好みの問題」が前提であることを認識した上で、語る人。

 

僕が上記のツイートで問題にしていたのは1だ。ただ今までの僕は2だった。そりゃあ噛み合うわけがない。僕「これはいいもんだよ。もっと色々聴けばわかるよ」 Cさん「えー…」みたいなトンチンカンなことが起こる。こりゃあ悲惨だ。おおいに反省している。ごめんよCさん。

3はいまいちイメージできないが、静観するのもまあスタンスとしてはいいと思う。僕からしたらもったいないとは思うが、各種の表現がある中で音楽に突っ込みすぎてる僕がそう思うだけで、みんなそんなに暇じゃない。

そして僕は4でありたい。くだらなくも楽しい、無意味に思えるけど有意義な、そんな語り合いがしたい。したいのです。

 ついでに言うと絶対的な「良し悪し」ってのは僕はあると思う。というかそう思いたい。そう信じたい。それはプラトンイデアみたいな、あるんだかないんだかわからない朧げなものかもしれないが、僕のような人種は聴くにせよ観るにせよ作るにせよ、それを求めてやっているのだから、あらゆる表現においてそれはあってほしい。「絶対ねーよ」は少し寂しい。

 

■嫌いで終わらすのはちょっともったいない

ここで終わってもいいのだが少し発展させた話。「好き」には個人によっていろんな理由があると思う。とっても深い理由だったり、すごくしょーもない理由だったり。そういう話をするのもきっと楽しいけど、それはまあここではなんでもいい。問題は「嫌い」の方だ。

思うに確たる理由をもって「嫌い」と言っている人はあまりいないのではないか。もちろんよく精通したジャンルで明らかに好みに合わないものというのもあるだろうが、全く通っていないジャンルの場合それは顕著だ。見ず知らずのジャンルを嫌う(嫌うとまでは言わなくても聴かない)のは、多くの場合は「合わないから」、なぜ合わないかといったら「そのジャンルの形式や作法が全くわからないのでどういったとっかかりで聴いていいのかわからないから(これは田中宗一郎氏も似たようなことを言っていた、というかそこからの拝借)」ではないか。いや、それでも悪いとは言わないが、もったいないのではないか。

だから自分の中で「嫌い」でストップしている音楽・ジャンルがあったら見直してほしい。きっと新たな道が拓けるはずだ。僕なんかも未だによくわからないジャンルは多いが、最近はたまたまライブで観てちょーかっこよかったHIPHOP(今までほとんど聴いてこなかった)なんかを聴いている。こんなきっかけでもいい。

ちなみに門外漢のジャンルに入っていくオススメの方法は3つ。

1.ライブに行くこと。

これが一番手っ取り早い。「クラシックのコンサートに行く」でも「生演奏のジャズバーに行ってみる」でもいい。名盤5枚借りてくるでもいいが、クラシックやジャズなんかは今まで何かしらの機会で耳にしているはずだ。それで直感的に選ばなかったのだから名盤聴くよりライブに行けと言いたい。なぜライブがいいか。まず迫力が違い過ぎる。僕なんかは初めてオーケストラを観たとき「今まで認識してたクラシックとは何だったのか」くらいの衝撃を受けたものだ。そして、周りの観衆を見ていれば楽しみ方の作法が自然とわかるというのも大きい。どこで盛り上がってどこでどこで静かに聴きいるのかが手に取るようにわかる。それがわかってくると非常に面白い。だからライブに行こう!

2.同じ音楽が好きな人にオススメを教えてもらうこと。

だから語り合えと言ってるんだ。広がりができるしその友人はよりかけがえのない人になる。いいことしかないじゃないか。それから感想とかをあーでもないこーでもないと言い合ったり、じゃあこれもオススメとか言い合ってるうちに同じ墓場にでも入ってしまえばいいんだ。ただ、やはり趣向はそれぞれ違うため微妙にズレが生じるのと(そのズレはむしろ楽しむ要素とも捉えられるが)、「人が熱心に勧めてくるといまいちちゃんと聴けない」謎アレルギーを発症することがあるのがたまにキズ。あれ何なんだろうね。

3.好きなミュージシャンのルーツを探ること。

アジカンが好きなバンドにアジカンのルーツであるOasisは聴かないのかと聞いたところ、「いやアジカンだけです」みたいに返ってきたという話を聞いたことがあるが、ルーツ探りは意外と浸透していないのかもしれない。これはすごくもったいないぞ。例えばこのブログでほぼ毎回登場するRADIOHEADはロック、パンク、ダブ、レゲエ、ボサノヴァ、ジャズ、クラシック、エレクトロニカ…と多種多様なルーツを消化した音楽をやっている(それがすごいんだがその話はまた今度)。インタビューを見たり、有名なバンドなら解説本やバイオ本なんかを読めば幾つかの音楽がヒットするはずだ。それは「好きな人が好きなもの」という贔屓目もあってとても入りやすいし、その大好きなバンドへの理解もより一層深まる。悪いことなんかないぞ。さあ、やるんだ!

 こんな感じで「嫌い」で見過ごさずに色々と触れていってほしい。絶対に新たな発見があるよ。

 

■終わりに

話が大きくそれたが、各人の「好き嫌い」を尊重しつつあーでもないこーでもないと語り合っていこうという話でした。やっぱり音楽はそれそのものの素晴らしさは当然だが、語り合えるということが素晴らしい。「好きなジャケは?」「かっこいいと思うバンド名は?」なんて話題でも一晩語り明かせる。最高にくだらないけど最高に素晴らしい、そんな音楽の語らい、みんなもどう?