(don't get any) Big Ideas

音楽周りのあれこれかれこれ

フジロック22を経てソニマニ&サマソニ22へ

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ソニマニへ向かう新幹線の道中ですが、フジロック22の軽い振り返りとそれを踏まえた今の心境を書いていこうと思います。僕としてはこれを書かずに次のフェスティバルには行けないなと感じていたので、ちょっとだけお付き合いください。

フジロック22は今年もFUJIROCK EXPRESSの取材チームとして参加しました。ライブレポート16本+ご飯とかインタビューとかを含めて合計23本の記事を書いています。僕が当日書けたことはここにすべて書いているので、よかったら探してやってください。最高に楽しかった思い出です。ただ、今書きたいのは当日書けなかったこと。ライブの話はまったくしないのでご了承を。

「書けなかった」というのはまず第一に忙しさ故ですが、「これを僕が今書くべきなのか?」という葛藤(と僕の勝手な心配)が常にありました。エキスプレスで嘘偽りは一切書いていない自負はあります(嘘みたいなことを書いていた一部メディアには正直侮辱されたような気持ちでいます)。ただ思っていたけど書けなかったことがいくつかあるので、それを書いていこうと思います。またこれは所属団体などとは一切関係のない、ごく個人的なテキストであることにご留意いただければと思います(こういう時に書くのかこれ)。

 

フジロック22で思ったこと

なんてもったいつけるまでもなく、マナーやルールの話です。今年他のフェスティバルに行っていないので比較はできないですが、昨年のフェスティバル体験を基準に考えるのなら正直言ってマナーは良くなかったとしか言いようがないし、昨年のフジロックを本当に素晴らしかったと断言したい僕としては「あれはなんだったのか」とさえ感じるところがあって、かなり困惑しながら過ごしていたのが事実です。もちろん大部分の人はマスクをつけて発声に気をつけていたし、マナーが悪かったのは一部なのだと思います。ただノーマスクや発声は見過ごせない程度にはあった。それが素直な実感です。

「あれはなんだったのか」。これを語るにあたってこの3年で変わり続けた、世間の空気や大衆心理のことが思い当たりました。例えばほぼすべてのフェスティバルを中止とせざるを得なかった2020年。唯一足を運んだナノボロフェスタ2020は、集った全員の気概があふれる素晴らしい体験でした。そして多くの制限と賛否両論の中フェスティバルが開催された2021年。フジロック2021ではこの場所を存続させようとする人々の懸命な想いをずっと感じていました。

そして2022年。口に出さずとも「いい加減コロナはもういいよ」みたいな雰囲気もなんとなく感じる中でのフジロック22。もちろん掲げられた“いつものフジロック”は運営の方々やフジロッカーの望みだったのは言うまでもないですが、そういった世間的な空気も大きく影響しているのではないかと感じました。例えば昨年同じような状況なら大炎上していたのではないかと思いますが、今年はあまりそうはなっていない。このことが大衆心理の強大さの証左のようにも思います(なので昨年のフェスティバルと比較して批判するのは僕としてはあまりフェアに思えません)。

さて、悪いのは運営なのでしょうか?間違いなく一理あるし、昨年を思うのなら明らかにもっと厳しい注意喚起はできたように思います。ただステージMCの方々の言葉を聞いて、この世間の空気の中でなんとか許容できる落とし所を探ろうという試行錯誤を感じていたし、世界的に制限緩和に向かっている状況もあります。それが正しいとは僕には言えない。でも(同情的過ぎるかもしれませんが)、僕は一概に批判する気にもあまりなれないところがあります(とはいえエモい物語ですべてが済むならどれだけ楽だろうと思うし、なし崩し的にはしてほしくありません。今後の動向を見守ろうと思います)。

ではマナーの悪い人への批判がいいのでしょうか?それも間違いなく正しいし、僕もフジロック前に注意喚起を前提とした記事を何本か書きました。今書いているこのテキストもいくらかその意識で書いています。ただどうすれば伝えるべき人に伝わるんだろうという悩みが常にあります。また許容しがたい思いもありつつ、数万人がいる環境で集団心理に流されることは無理からぬことと思っているところもあります(ただMADBUNNYを盗むのは犯罪です。自由を履き違えないでください)。

ソニマニ&サマソニ22へ

こういうとき「周りの人を想って」と書くことは確実に正しいのですが、どこか書いていて白々しく感じたり、うまく伝わらない実感もあります。フジロック22を踏まえて今僕が思っているのは「誰のためでもなく自分のために」ということです。

昨年のフジロックは「ここにいる全員がこれだけ努力をしたのだから仮に感染してもその時はもう仕方がない」と会場の空気からごく自然に感じていました。今年は会場の空気からそうは感じられませんでしたが、僕個人としては誰より感染対策を意識した自負があります。事後の検査もして結果的に感染はありませんでしたが、仮に感染したとしてもフジロックに行ったことに何ら後悔はなかったと想像します。

僕は絶対に「行かなければよかった」とか「あの時もっと気をつけていれば」みたいな後悔をしたくない。だからそのための努力をするし、自分の選択に納得をしたい。「ルールだから」「周りがそうしているから」以前の話なんですよね。これは完全に自分のためですが、そのことがまわりまわってみんなのためになるのであれば、それでいいのではないかと思っています。だからこそ凄くシンプルにこの一点だけを問いたい。「あなたは自分の選択に納得できますか」と。

もちろん「参加自体しないほうがいい」という声も完全にその通りに思うし、そういった観点から参加を諦めた友人もいます。あるいは健康上の理由で選択の余地なく参加を諦めた方のことを思うと、とても心苦しい気持ちになります。ましてや僕はソニマニ→大阪サマソニ2日という誰よりもリスクの高い行動を選択しているので、相応の行動をしなくてはならない。誰のためでもなく自分の納得のためにそうします。

正直に言うとソニマニ&サマソニ22も「マナーがとてもよかった」という状況にはならない予感がしているし、会場の雰囲気や運営があなたを守ってくれる段階は過ぎてしまったのかもしれないと感じています(そのことへの賛否は当然ありますが)。そういう意味では、今年は昨年より遥かに参加者の当事者意識や自覚が重要だと感じています。

僕はずっとフェスティバルは単なるレジャーでも野外コンサートでもなく、参加者のさまざまなことへの当事者意識を醸成し得る、社会的意義を持ったものだと感じています。そういう意味でフェスティバルの真価を問われるのはむしろ今年です。周りがどうであっても、自分の選択に納得できるあなたであってほしいなと思います。僕自身もそうだし誰にも後悔なんかしてほしくない。それだけなんですよね。

この引用が適切なのかはわかりませんが、僕の心境は「no direction home」です。あなたが望む「いつも」への道筋に与えられた正解などない。自分の意思で選択して納得する。多分あなたにできることもそれだけです。

最後に一つだけ。僕はフジロック22で誰よりも気をつけたと勝手に思っていますが、誰よりも楽しんだとも思っています。もちろんシンガロングしたいしモッシュも楽しいですが、音楽やフェスティバルはそれができないからといって損なわれるようなものでは絶対にありません。僕はそのことをどこまでも信じているので、ソニマニ&サマソニ22も誰よりも気をつけ誰よりも楽しみます。できたらあなたもそうであってほしいし、そんなあなたと乾杯したいと思っています。

でもあれだ、今年のフジロックは今までで一番楽しかったし、多分ソニマニ&サマソニもそうなります。また幕張と舞洲で会いましょう。